A Better Project@はてなダイアリー(インポート版)

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駄文:決められる前に、使い分ける、もしくは、使い込むと良いと思う

同日 8:00:タイトルと本文の微修正
Latest topics > 使う道具が人の考え方を決めるということと、自分が「自分を変えたくない」と思いこの場所に留まり続けているということ - outsider reflex を読んで、Vim 使いとして何か書いておこうと思って書き始めた駄文。論点がずれていても気にしない方向で。
Piro さんが書いていることは、ソフトウェアに限らず、道具を使うということにおいて問題となることだと思います。誰もがきちんと思い通りに使える道具を作るということは難しい。だから、そういう道具を作ることができる人はすごいと思うし、セカンドサーチは、かなり便利に使わせてもらっています。
でも、だからといって、使い難い道具に対して簡単に悪い評価はできないなあと思っています。Vim を使い始める前は、Emacs なんて!と思ってましたが、最近は、抵抗感が薄れてきています。道具は、使いようと使い込みなのかなあと思うのです。
万能な道具こそ理想ですが、現実的には、切るものによって、包丁、ナイフを使い分けるように、道具は使い分けてなんぼだと思います。決めるのは、道具ではなく、自分でありたいなあと思います。だから、いろいろな道具を使ってみて、使い分けたり、自分で作ったり、とかいうのをしていかないといけないんだろうなあと自分への自戒を込めつつ。
使い込んでみるというのもまた重要なのかなと最近思い始めています。受動的に使われるのではなく、能動的に使ってみること。VimEmacs は、まさに、そういう感じですが、使い込んでみて損したり、得したりするのも、道具とつきあう面白さなのかなあと思います。
もちろん、道具を使い分けたり、使い込むのは、エネルギーが必要なので、万人におすすめできることではないし、誰もが使いやすいユニーバサルデザイン(左利きでも右利きでも使えるはさみとかあったような気が)は、多くの人が使う道具(やウェブサービス)であれば、必要なことだと思います。
結局言いたいのは、Vi(m) はそんなに悪いツールじゃない、ということなんですが。